某経済学関係の本を幾つか読んでしまったからか、もっとよく知りたいと色んな経済学関係の本を最近積読している状態。
http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-cba2.html
こう見えても(?)、某私大の経済学科卒。しかし、こんなの勉強しましたっけ?という話ばかり。
その大学の経済学は近代経済学がメインだったのだが、授業の合間、大学図書館に行っては、私はマルクス関係の本ばかり漁っていたように思う。
近代経済学の授業では、需要と共有の、あのX線が交差する話が出てきて、有効需要がどうたらこうたら、最後は微分積分が出てきて、あー、文科系を選択したつもりなのに、なんで、これまた理科系?と困ってしまって、なんとか単位を取って、それっきり。
だから、逆に、今頃、経済学関係の本を読むと新鮮(笑い)。大学の時にもっと勉強しとけばよかった。とほほ。
ところで、上記の某経済学関係の本は、要するに、ケインズの考えを元に論考しているようなのだ。そうそう資本主義ではケインズが重要な理論を考えた、というくらいは知っている。そして、いろいろ読むと確かに奥が深い。ところが、奥が深すぎてか、ケインズをとても毛嫌いしている人たちも多いようだ。たとえば下記の本などはそうでしょう。
この本では、しかし、ケインズのどこに容疑がかかっているのか実はよく分からず。何度読んでも、ケインズは駄目だから駄目なんだ、的な書き方をしているようにしか読めず、嫌いな人は嫌いなんだなぁ、と正直思った。
どうしてそうなんだろう、と色々読んでいると、どうやら、ケインズの言う、不況時に政府が公共事業を行うことで、有効需要を創出させる考えが、ダムを造るんじゃなくて、戦争を起こすことに繋がっているんじゃないか、という説があるらしいのだ。
実際、新古典派経済主義などは、ベトナム戦争後に出てきているらしい。ベトナム戦争が起こったのは、ケインズ主義のせいだ、等々。「ケインズは死んだ」という言葉もそういう文脈で出てきているようだ。
しかし、ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」にそのようなことを書いているようには読めないし、無理から結びつけているような感じもしなくもない。
そもそも、社会主義国でも、ケインズ主義的資本主義国でも、新古典派主義的資本主義国でも戦争を起こした国はあるのだから。テロとの戦いも、要は戦争であるのだから。
(戦争は、その国々の指導者たちが「やる」か「やらない」か、でしばしば起こってしまうものだろう)http://tanakanews.com/091021israel.htm
ところが、どっこい、「ケインズは生きている」と主張する本は元気がいい。特に不況期のいまにおいては。
(資本主義経済下で)不況をどのようにすれば脱することができるのかを明確に理論化したのが、やはりケインズであるからだろう。
だから、経済的な危機が起きるたびに、結局、何度も生き返ってしまうのだろう(笑い)。私見では、彼は、国家というものが、どうしたら、永遠に続いていけるのかを経済学的に説明してしまった人なんじゃなかろうか。それは、人類の未来の展望も自ずと含まざる得ない。
幾多の経済的危機から、ケインズの方法論は、ある程度図式化・マニュアル化できる部分がある。その作業を下記の本がしてくれている。
上記の本は、しかし、副題に書いているマルクスはあまり関係なくて、アダム・スミス的経済とケインズ的経済の違いを述べている。また、不況時の経済政策と好況時の経済政策の違いを述べている。
また、今日の経済政策的問題の多くは、いまが好況なのか不況なのかちゃんと捉えないといけないのだが、それを怠ると不況時に好況時向けの政策をしてしまったり、好況時に不況時向けの政策をしてしまったりしてしまって、状況を悪化させてしまうことによることがしばしばある、と述べている。そのような政策の取り違いをしておきながら「ケインズ主義的政策が効果がない」と言われていることが多々あることも述べている。
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