書籍・雑誌

2009年11月 7日 (土)

日本酒と日本人

なぜか、単にその絵が気になるだけで下記の本を図書館で借りてみた。

尾瀬あきら氏の漫画に出てくるキャラクターは、どうしてみんな照れたような顔をしているんだろう。でも、日本人って、どこか恥じらいのようなものを持って人と接していることが多いんじゃないだろうか。

下記は、「夏子の酒」の主人公の祖母の話のようである。

日本人は、恥の文化がある、と誰かが言っていたように思うが、それを氷解して、一時的にでもみんなと仲良しになれるのは、お酒が入った席のような気がする。もっとも、私は、下戸で、チューハイを一杯飲んだくらいで酔いが回ってしまうから、普段はほとんど飲まない。宴会があるときくらいか。以前、市民活動に熱中していた時は、活動は実はどうでもよくて、会議の後でみんなで酒を飲むのが目的みたいなときもあった。普段会うことのできない色んな人と出会うことができたからだ。みんなもそんな感じだったけれども(笑い)。

それはどこから来る感情なのか分からない。しかし、そのような恥の感覚が、日本人のある種の規律を形作っているような気がする。

(それらは、国々によって違うんじゃないか。お隣の韓国なんかは儒教の影響が強いし、欧米ではキリスト教の影響が強かったりするだろうし)

そのような規律の元になるようなものが何らかの形で無くなったりすると、日本人は秩序を失った行動をしやすいのではないか。たとえば、「旅の恥はかき捨て」という言葉がある。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2230657.html

実際、「旅の恥はかき捨て」が行き過ぎると、海外で開放的になりすぎた某日本人が世界遺産に落書きしていた、という話があったりするようだ。

なんか、そんなことを思い出してしまう漫画であるなぁ。。。。

尾瀬あきら氏は、下記の本も書いているようです。日本酒通ですね。

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2009年10月25日 (日)

経済学の書籍を読むと学生時代を思い出す

某経済学関係の本を幾つか読んでしまったからか、もっとよく知りたいと色んな経済学関係の本を最近積読している状態。
http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-cba2.html

こう見えても(?)、某私大の経済学科卒。しかし、こんなの勉強しましたっけ?という話ばかり。

その大学の経済学は近代経済学がメインだったのだが、授業の合間、大学図書館に行っては、私はマルクス関係の本ばかり漁っていたように思う。

近代経済学の授業では、需要と共有の、あのX線が交差する話が出てきて、有効需要がどうたらこうたら、最後は微分積分が出てきて、あー、文科系を選択したつもりなのに、なんで、これまた理科系?と困ってしまって、なんとか単位を取って、それっきり。

だから、逆に、今頃、経済学関係の本を読むと新鮮(笑い)。大学の時にもっと勉強しとけばよかった。とほほ。

ところで、上記の某経済学関係の本は、要するに、ケインズの考えを元に論考しているようなのだ。そうそう資本主義ではケインズが重要な理論を考えた、というくらいは知っている。そして、いろいろ読むと確かに奥が深い。ところが、奥が深すぎてか、ケインズをとても毛嫌いしている人たちも多いようだ。たとえば下記の本などはそうでしょう。

この本では、しかし、ケインズのどこに容疑がかかっているのか実はよく分からず。何度読んでも、ケインズは駄目だから駄目なんだ、的な書き方をしているようにしか読めず、嫌いな人は嫌いなんだなぁ、と正直思った。

どうしてそうなんだろう、と色々読んでいると、どうやら、ケインズの言う、不況時に政府が公共事業を行うことで、有効需要を創出させる考えが、ダムを造るんじゃなくて、戦争を起こすことに繋がっているんじゃないか、という説があるらしいのだ。

実際、新自由主義経済などは、ベトナム戦争後に出てきているらしい。ベトナム戦争が起こったのは、ケインズ主義のせいだ、等々。「ケインズは死んだ」という言葉もそういう文脈で出てきているようだ。

しかし、ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」にそのようなことを書いているようには読めないし、無理から結びつけているような感じもしなくもない。

そもそも、社会主義国でも、ケインズ主義的資本主義国でも、新自由主義的資本主義国でも戦争を起こした国はあるのだから。テロとの戦いも、要は戦争であるのだから。

(戦争は、その国々の指導者たちが「やる」か「やらない」か、でしばしば起こってしまうものだろう)http://tanakanews.com/091021israel.htm

ところが、どっこい、「ケインズは生きている」と主張する本は元気がいい。特に不況期のいまにおいては。

(資本主義経済下で)不況をどのようにすれば脱することができるのかを明確に理論化したのが、やはりケインズであるからだろう。

だから、経済的な危機が起きるたびに、結局、何度も生き返ってしまうのだろう(笑い)。私見では、彼は、国家というものが、どうしたら、永遠に続いていけるのかを経済学的に説明してしまった人なんじゃなかろうか。それは、人類の未来の展望も自ずと含まざる得ない。

幾多の経済的危機から、ケインズの方法論は、ある程度図式化・マニュアル化できる部分がある。その作業を下記の本がしてくれている。

上記の本は、しかし、副題に書いているマルクスはあまり関係なくて、アダム・スミス的経済とケインズ的経済の違いを述べている。また、不況時の経済政策と好況時の経済政策の違いを述べている。

また、今日の経済政策的問題の多くは、いまが好況なのか不況なのかちゃんと捉えないといけないのだが、それを怠ると不況時に好況時向けの政策をしてしまったり、好況時に不況時向けの政策をしてしまったりしてしまって、状況を悪化させてしまうことによることがしばしばある、と述べている。そのような政策の取り違いをしておきながら「ケインズ主義的政策が効果がない」と言われていることが多々あることも述べている。

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2009年10月11日 (日)

言葉を使っているのか使わされているのか

「日本語は天才である」という本を読んだ。

なぜか「我輩は猫である」のタイトルを思い出してしまう。著者は、実際、猫好きらしい。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-603a.html

(もっとも、この本のタイトルは、夏目漱石の小説とは関係なく、別なところから影響を受けているそうだが)

いつの頃から「日本語は曖昧だ」という「常識」を聞くようになった。しかし日本語のどの部分がそうなのかを聞いたためしがない。

http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-a5a6.html

http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9619.html

ひらがな、かたかな、漢字にローマ字、ルビまで使える(縦書きならルビも左右に記載することも実は可能)。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_3e2e.html

要するに、表現力がとても豊かなのだ。変幻自在と言ってもいい。その気になれば、曖昧な文章も、厳密な文章も、日本語なら書けるだろう。つまり、、、

翻訳家である著者は、他の言語では無理でも、日本語なら翻訳してしまえる様々な事例を元に、日本語がいかに天才であるかを語ってくれる。

我々は言葉を支配しているのではなく、言葉に支配されている、と言った人がいる。

我々の思考は本来自由だ。しかし、誰かに何かを伝えるためには言語を使わざる得ない。しかし、言語は、しばしば、それぞれに構造がある。つまり、言語の構造に思考を規制されがちである。

そういうものに従いたくない人は、音楽やったり、ダンスしたり、ボディーランゲージしたり、絵を描いたり、動画つくったり、漫画かいたり等々いろんな表現方法があったりするんだけど、それらにもいろんな構造があったりする。

だから、どうせ思考を何らかの構造に通さざる得ないのなら、日本語を使ってみたらどうか。日本語は天才である。だから、日本語を使っていったらなんとかなる。本当になんとかなりそうな感じがする。

そんなことを言っている本である。

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2009年10月 6日 (火)

信念が人を動かす

図書館で予約した本がやっと来た。

この本は、「遥かなる絆」というテレビドラマ化もされたノンフィクション。http://www.nhk.or.jp/dodra/harukanaru/index.html

内容(「BOOK」データベースより)
<日中の国交が断絶していた一九七〇年に、文化大革命さなかの中国から命懸けで帰国を果たした二八歳の日本人戦争孤児、それが著者の父だった。旧満州に飛び込んで、10年がかりの旅の中で、娘がまるごと受け止めた運命の物語、そして「反日と情愛の国」の等身大のリアル。戦後史を書き換える奇跡の実話。 >

戦争がなければあり得ない話。そして、その当時としてはほとんど無理な、中国から日本に帰ってくることを可能にしてしまったのはなんだったのだろう。

人間は、無意識・有意識に、信念を持っていると言われる(このブログでは「哲学」と言うことが多いが)。著者の父はあるときから下記の言葉を心に持つようになったのだという。

「車到山前必有路」(進めば必ず道開く)

戦争の悲惨さを伝える本ではあるのだが、不可能なことも可能にしてしまうんじゃないか、と勇気すら与えてくれる本でもある。

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2009年10月 2日 (金)

新しい映画のジャンル?

大阪市の図書館で借りた、雑誌『AERA』(2009年8月24日、No.37)の表紙はダウンタウンの松ちゃんである。http://www.aera-net.jp/latest/backdetail.html?id=98

http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-cba2.html

で、豊中市の図書館で借りた、雑誌『CUT』(2009年9月、No.252)の表紙も松ちゃんである。それがどした(笑い)。

偶然の一致?いや、新しい映画のプロモーションのため、色んな雑誌の露出が多いためでしょう。

しかし、『大日本人』も私はまだ見ていないのだから、新しい映画もよく知らない。もっと言えば松っちゃんのことも実はあまりよく分かっていない。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_390a.html

たとえば、同じ時間帯に別々のテレビ局に、さんまちゃんと松っちゃんが出ていたらおそらく私はさんまちゃんの方の局にチャンネルを合わすだろう。

さんまちゃんの笑いは、しばしばエキセントリックなんだけど、見ている人がついていけなさそうになると、急にトーンダウンしたりレベルを下げたり自由自在。笑っている人は、そのやさしさについ甘えてしまうようなところが、いまだに人気があるところなんだと勝手に思っている。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_500a.html

一方、松っちゃんの笑いはとても厳しく感じる。ついてこれない人はどうでもええよ的に感じるところが、私がなかなかファンになれないところか。逆にファンになる人はそういう冷ややかな感じがいいのかもしれない。

話は変わるが、関西に住んでいると、色んな人の会話を聞くと、なんで自然と漫才のボケとツッコミができるんだろうと感心する。

松っちゃんは、ボケの方なんだろうが、スーパーボケというか、突っ込んでも突っ込んでも、敵わないくらいボケ倒している。そんなアホなと視聴者は、テレビを通して松っちゃんにどんどん突っ込むのだが、いつしか、突っ込むネタが尽きてもなお、松っちゃんはボケ倒していることに気が付き、呆然となるような笑いの取り方をしているように思う。

松っちゃんの、映画も、おそらく、漫才と同じように突っ込みどころ満載なのだと思う。ところが、突っ込んでも突っ込んでも、なお、ボケ倒している映画なんではなかろうか。何度も言うけど見たことまだないのだけれど(笑い)。それは、もしかしたら、新しいジャンルの映画なのかもしれない。

雑誌『CUT』では、<テレビの時代は終わった、『しんぼる』で松本人志が映画を変える。>とインタビューを受けているのはそのような趣旨だからだろうか。

そのスーパーボケが、テレビの枠では収まらなくなり、映画の新しいジャンルを築くまでになったのなら、やはり超一流の芸人と言わざる得ない。

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2009年10月 1日 (木)

今後の展開に期待したライブラリー

ちょっとおもろいライブラリーがある。

ボランティア・市民活動ライブラリー
http://www.osakavol.org/vollibrary/layout.html

その名の通りボランティアや市民活動関係の書籍や雑誌などがいろいろそろっているところである。私も自分の書いた記事を複写するために数回行ったが、残念ながら家から遠いのだ。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-0471.html

もう一つ残念なのは、文献複写サービスなんかがいまのところなさそうなとこだ。たとえば国立国会図書館には、雑誌記事索引検索なんていうサービスがある。http://www.ndl.go.jp/jp/data/opac.html

雑誌の中にはいろんな記事があるもので、その記事のタイトルまで目録を作ってくれている。だから、誰それさんの書いた記事が何ページから何ページまで、という情報が出てくるので、国立国会図書館のそれは、その部分だけ複写して送ってもらうことができる(当然有料ですが)。

ここのライブラリーはそんなサービスをしてくれるのかどうかいまのところ定かではないですが、ボランティア・市民活動関係の資料は、なかなか残っていることが少なく、そのため、過去に遡って調査するのは難しいことが多い。そういう意味でも、雑誌記事索引や文献複写サービスまで、整備されたらいいんじゃないかなぁ、と思ったりした。

また、チラシのライブラリーはあるのだろうか?と思ったりもする。ネット全盛であっても、講座・イベント・催しのお知らせには、いまだチラシが重要とされているのではないか。実際、チラシの作り方(たとえば、タイトルの付け方一つにしても)によって、定員オーバーになるケースがあるらしい。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b85d.html

そういったチラシのライブラリーもあってもいいんじゃないだろうか。

今後の展開に期待したいライブラリーである。

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2009年9月27日 (日)

タイトルが誤解を与えそうだが、中身はなかなか勉強になる本

最近おもしろい人にであった。ろくに働きもしないのに色んな人にやたらとお金をせびるのだ。そして、ちょっとでもお金が入るとすぐ使ってしまう。しかも同じものばかり買って、すぐ捨ててしまうのだ。そして、また同じものを買って、、、、こういうのを金をどぶに捨てるようなもの、というのだろう。

公共事業も、最近は、そんなことを言われることがある。穴を掘って穴を埋めるようなものではないのか云々。確かにそんな公共事業もあるだろうが、しかし、それが、社会福祉の充実や環境保全なんかに使われるんならどうだろう。多少は賛同も得られるのだろうか?

なんで、そんなことを思ったかというと、最近下記の本を読んだからだ。

廣宮孝信/著『国債を刷れ!「国の借金は税金で返せ」の大ウソ』(彩図社)

とんでもない、荒唐無稽なことを書いている本を「トンデモ本」とか言うのですが(笑い)、タイトルだけ見たら、すごい!これもそうだろう、と思っていたら、、、、中身は意外とそうでもない。様々な統計を駆使して説明してくれているから非常に説得力がある。

「日本国は借金まみれでお金が無い」というのは、マスコミで散々言われている。確かに、何をするにも「財源が無い」という話はある。

(私が思い出すのは、障害者自立支援法が成立する前にそのような話が流行ったことがあった。国家にお金がないから、これからは、障害者の皆さんも応益負担よろしくお願いします的な話であった。でも、そんな話を聞いて、私は不思議に思ったものだ。大多数の障害者は、その障害ゆえにちゃんとした仕事に付けず、ちゃんとした収入もないのだ。どうやって介護費用を負担をするんだろう、と思っていたら、法律が施行されてから、案の定、あっちこっちで問題だ、と当然のごとく訴えが出てきたのだった。そして、最近、この法律を廃止するという話がこれまた当然のように出てきている)

しかしこの本によれば、財源がなければ国債を発行すればいい、という話である。

それでは国の借金が増えるばかりで、夕張市みたいに財政破綻してしまわないだろうか?と心配になる。ところが、国は、自治体や個人と違って国は通貨を発行することができる。つまり、お札の輪転機がある家みたいものなのだ。お家の家計簿や企業や各種団体の会計帳簿と、国の財政をごっちゃにしてはいけない。

(もしかして政府関係者に、ごっちゃに考えている人がいるんじゃないの?)

実際、政府の財源が足りない場合は、政府貨幣(政府紙幣)を発行せよ、と主張している本もある。

でも、通貨をじゃんじゃん発行したら、通貨の価値が下がって、すごいインフレになるのでは?しかし、いまの日本は円高にデフレ、低金利である。インフレの可能性はとても低い。

***

また、政府が直接貨幣を発行するのではなく、発行した国債を日銀に買ってもらう方法もある(正確には「保有」してもらう)。http://www.yorozubp.com/9811/981128.htm

国債を発行すると、国の借金が増えるため嫌がる人がいるが、それは、民間に買ってもらう場合だ。しかし、日銀は、政府機関なのである。しかも、紙幣を発行できる。結果的に、政府内で紙幣が増えているようなものなのである。

国債を日銀に引き受けてもらえば、日銀紙幣が発行され、増えた紙幣が政府の国庫に入ることになる。政府はその増えた財源を公共投資などに使い、需要を増やし、経済成長を促し、雇用を増やしたらよい。現実的なやりやすい方法であるし、現にいまもやっている。国債の民間保有の増加が嫌なら、日銀に保有してもらう量を増やしたらいいのだ。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/youtube-1a13.html

***

・・・なるほど、なるほど。じゃあ、ある枠組み~つまり、デフレの間は、どんどん国債を発行すればいいじゃん、ということになる。

(ただし、悪性インフレのような状態になってきたら、国債増発はよくないとも書いている)

しかし、一つ引っかかることがある。つまり、財源を確保しても、その使い道をちゃんとしておかなければいけないのではないか。お金があるんだったら、戦車にミサイルに戦闘機を買おう、では目も当てられないだろう。

だから、先ほど書いたような社会福祉の充実や、環境保全や、少子化対策や、雇用対策、食糧自給率UPの施策なんかに率先して使うようにしなければいけないんじゃなかろうか。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-6b8b.html

http://it.nikkei.co.jp/business/column/katsuma_market.aspx?n=MMIT2n000002032009

また、以前書いたソーシャルインクルージョンのために使われるのもいいんじゃないだろうか。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_8b02.html

この本でも、そのことは語られている。職にあぶれた若者のうち200万人以上を補助公務員として年収300万円で雇用したらどうか、というのもその一例である。

(公務員が増える弊害を指摘する声がある。しかし、不況時で失業率が高い時に、労働市場では、公務員登用が増えると、民間企業は優秀な人材を確保するために給料を上げる傾向があると言われている。つまり、民間企業の賃金体系が良くなる可能性が出てくるなどの効果があると言われている。不況時は民から官が鉄則である。

逆に言うと、好況時には、官から民の考えで、公務員の登用を控える方がよいとされる。好況時に官が強すぎると、民間活力を阻害することがしばしばあるからである)

また、不景気の時には、景気対策などで、財源をどのように使っていくのか明確でない場合、つまり、とにかく有効需要を刺激していけばいい場合、消費税を下げる方法もありそうだ。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-478a.html

消費することに税金をかけるのが消費税なのであって、税がかかればかかるほど消費は落ち込む傾向にある。だから、不況の時は消費税率を下げたらいい、という論議は当然出てくるが、下記の本は、もっと積極的に、消費税率をマイナスにしたらどうか、と主張している。つまり、マイナス5%の消費税なら、100円の商品が95円で買えるようにするのだ。

たとえば、エコポイントなどは、要するに、エコ関連商品をターゲットにした、エコ関連商品が売れやすくするためのマイナス消費税的な役割を果たしているのだろう。やり方はそれこそ色々あるのだが、、、、

つまり、国家財政をどのように使っていったらいいか、という哲学があって、初めて、この「国債を刷れ!」の意味が出てくるのだ。そういう部分を先に書くか、強調するようなタイトルにした方が、誤解が少なくていいんじゃないかなぁ、と思った。

ただ、この著者はとても先見の明があるように思えるので、今後の活躍も期待したい。http://blogs.yahoo.co.jp/eishintradejp

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2009年9月25日 (金)

製品やサービスを通して、いまのトレンドを知ることができる雑誌

雑誌『日経TRENDY』は家電ファンにはなかなか便利だ。

たとえば、2009年1月号では、新製品完全テストの特集記事が掲載されている。ブルーレイ・ディスクレコーダーのページでは「「リンク」よりも長時間録画だ」なんて主張している。

現実にそれが正しいかどうかは使ってみないと分からないことも多々あるだろう。しかし、そうはっきり言ってくれると分かりやすいことは分かりやすい。だから、「ほんまか~」と突っ込みやすく、量販店で実物を触ってみるときの参考にしやすい。

ところで、家電には作った人たちの思い入れと技術的な諦めなんかが入り交じって、製品としてリリースされているわけでしょう。

それらの製品が何を主張しているのか、という切り口で家電製品を見たらやたらと面白いと思いません?

つまり、家電製品が売れるというのは、便利だからとか、安いからとか以外に、製品に託されている主張や哲学が、買う人たちに支持されているケースもあるんじゃないか。

そんな面白い切り口からみた製品に関する記事が、この雑誌全編に渡って掲載されている。

また、家電製品だけでなく、ネットスーパーや生鮮宅配、各航空会社の運賃比較など、いろんなサービスに対しても、貪欲に、どんどん比較して毎号特集記事が目白押しで組まれている。

製品やサービスを通して、いまのトレンドを知ることができる面白さがここにはある。

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2009年9月21日 (月)

ITといものを捉えるための思想や哲学を述べた本

今日は、図書館で借りた『YouTubeはなぜ成功したのか』を読んでみた。

この本が面白いのは、ITというものを捉える思想とか哲学なんかが書かれていることだろう。YouTubeは、まさに、そのITの権化のようなものであり、YouTubeを理解することは、この新しい思想や哲学を理解することのように思える。

ところで、今日は、ものすごく細かいことが気になる人に出会った。全然知らない人なのだが、あることをあまりに細かく気にするのだ。

そういう人がYouTubeを使うと、おそらく、色んなことが気になって使えないんじゃないかなぁ、と思うことがある。

たとえば、著作権の問題などがあるだろう。無断で某テレビの放送がUPされていたら、そういうものを見たらそういう法みたいなものがすごく気にあるんじゃなかろうか。

だからYouTubeをとても利用する人は結構アバウトな人が多いとは思う(笑い)。

(この本でも、当然、そのことは触れられている。ただ、明確な解決策は述べられていないように思える)

個人的に、それらの解決策の一つとしては、たとえば、テレビドラマが勝手にUPされているケースを考えよう。

当然だが、著作権的にはとても問題がある。

ただ、なぜ、問題か、について、この本ではCMの面から述べられている。つまり、スポンサーが、番組の制作費を提供する代わりに、そのスポンサーのCMを流す、というビジネスモデルが背景にある。しかし、近年、このCMを飛ばして録画するレコーダーが発売されたり、YouTubeではCMがカットされて視聴できたりしてしまうのだ。

著作権問題以前に、スポンサーにとって、テレビの宣伝効果が見込めないから問題なのだ。http://tomoogi-poem.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/youtube-0a82.html

でも、これは、YouTube側だけでなく、テレビ局にも問題がないか?

NHKを除いて、民放の放送は無料で視聴できるのだ。それだったら、ドラマの配信をオンデマンドの動画無料配信にしたらどうなのか。そして、その動画配信にはCMを入れておくのだ。そして動画を再生する場合は、そのCMを飛ばせないような工夫をしておけばいいのだろう。視聴者は、CM入りの動画を見ざる得なくなる。でも、それで文句を言うのは野暮な感じがする。無料で見逃したテレビドラマを見ることができるだから。

そういう工夫をテレビ局側ももっとすれば、スポンサーの宣伝効果にも配慮したオンデマンド配信ができるんじゃないか。また、どれだけ視聴されたかの統計も取りやすいし、インターネット配信であれば、そこからそのスポンサーのホームページに飛ばして、オンラインショップに行けるような工夫もできるわけだろう。

(NHKは有料のオンデマンド動画配信を始めているようだ。しかし、そこからオンラインショップに飛んでいけるような工夫は、公共放送という枠組みでできるだろうか?技術的にはできても。民放はそういうことは倫理的にOKだろうが)

上記のような仕掛けは、最近は、増えてきているし、あり得ることだろうが、まだまだ一般的ではない。しかし、ITの良い面を繋げていけば、上記のような新しいビジネスモデルがどんどん出てくるんじゃないか。そういう前向きな使い方がテレビ局なんかには求められていないだろうか。そういうチャンスを、法に拘るばかりで、テレビ局側が逃しているならもったいないことである。

この本は、そんな、思想や哲学を語っているのだ。良い思想や哲学は、新しい産業を作ったりすることもあるんじゃないか。そんなことを述べている。

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2009年3月13日 (金)

クラッシックな評論

図書館で、久々に渋谷陽一さんの本を借りてみた。

渋谷陽一さんのことは、私が、1970年代の終わりごろ、つまり、レッド・ツェッペリンがイン・スルー・ジ・アウト・ドアを出した頃ぐらいの滑る込みセーフ的ゼップファンになったと同時に、なんか熱狂的なゼップファンの評論家がいるぞ、という話を聞いてロッキング・オンなんかを読んで知った人なのですが、この本も、彼がゼップのことを書いているとこばかり読んでしまいましたが、やっぱり面白いね。

ゼップファンならうんうんとうなずくようなことばかり書いている。他の文章はだからあんまり読む気がしないけれど。

同じ話ばかりするお笑い芸人が、おなじような話をしててもやっぱり面白い、というのはあるじゃないですか。古典芸能というか。ゼップはいまやクラッシック・ロックらしいですが、渋谷さんの書いてることもある意味、古典評論。

何度でも読み返したい文章だと思います。

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